大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成7年(ワ)1382号 判決

原告

アーサー・ティザリントン

外六名

右七名訴訟代理人弁護士

新美隆

藍谷邦雄

鈴木五十三

永野貫太郎

鈴木一郎

髙木喜孝

吉田瑞彦

山下朝陽

被告

右代表者法務大臣

中村正三郎

右指定代理人

川口泰司

外七名

主文

一  原告らの本件各請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告らに対し、それぞれ二万二〇〇〇米国ドル及びこれに対する平成七年三月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告らが、第二次世界大戦中に、日本軍により、捕虜収容所又は民間抑留者収容所に収容され、労働強制及び虐待等の加害行為を受けたなどと主張して、被告に対し、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(ヘーグ陸戦条約)三条又は国際慣習法に基づき、右加害行為によって被った損害の賠償を請求する事案である。

二  争いのない事実等

1(一)  被告は、明治四〇年(西暦一九〇七年。以下、西暦の年号は単に年数のみで表示する。)一〇月一八日、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(明治四五年条約第四号。以下「ヘーグ陸戦条約」という。)及びこれに附属する陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則(以下「ヘーグ陸戦規則」という。)に署名した。

(二)  被告は、明治四四年(一九一一年)一一月六日にヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則を批准し、同年一二月一三日にこれらの批准書を寄託し、同四五年(一九一二年)一月一三日にこれらを公布した。

2(一)  ヘーグ陸戦条約の前文中には、「締約国ノ所見ニ依レハ、右条規ハ、軍事上ノ必要ノ許ス限、努メテ戦争ノ惨害ヲ軽減スルノ希望ヲ以テ定メラレタルモノニシテ、交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ、交戦者ノ行動ノ一般ノ准繩タルヘキモノトス。」と定められている。

(二)  ヘーグ陸戦条約三条には、「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。」と定められている(フランス語による正文は、別紙1のとおり。英語による訳文は、別紙2のとおり。なお、「前記規則」とは、ヘーグ陸戦規則を指すものである。)。

(三)(1)  ヘーグ陸戦規則四条には、「俘虜ハ、敵ノ政府ノ権内ニ属シ、之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ権内ニ属スルコトナシ。俘虜ハ人道ヲ以テ取扱ハルヘシ。俘虜ノ一身ニ属スルモノハ、兵器、馬匹及軍用書類ヲ除クノ外、依然其ノ所有タルヘシ。」と定められている。

(2) ヘーグ陸戦規則六条には、「国家ハ、将校ヲ除クノ外、俘虜ヲ其ノ階級及技能ニ応シ労務者トシテ使役スルコトヲ得。其ノ労務ハ、過度ナルヘカラス。又一切作戦動作ニ関係ヲ有スヘカラス。俘虜ハ、公務所、私人又ハ自己ノ為ニ労務スルコトヲ許可セラルルコトアルヘシ。国家ノ為ニスル労務ニ付テハ、同一労務ニ使役スル内国陸軍軍人ニ適用スル現行定率ニ依リ支払ヲ為スヘシ。右定率ナキトキハ、其ノ労務ニ対スル割合ヲ以テ支払フヘシ。公務所又ハ私人ノ為ニスル労務ニ関シテハ、陸軍官憲ト協議ノ上条件ヲ定ムヘシ。俘虜ノ労銀ハ、其ノ境遇ノ艱苦ヲ軽減スルノ用ニ供シ、剰余ハ、解放ノ時給養ノ費用ヲ控除シテ之ヲ俘虜ニ交付スヘシ。」と定められている。

(3) ヘーグ陸戦規則七条には、「政府ハ、其ノ権内ニ存ル俘虜ヲ給養スヘキ義務ヲ有ス。交戦者間ニ特別ノ協定ナキ場合ニ於テハ俘虜ハ、糧食、寝具及被服ニ関シ之ヲ捕ヘタル政府ノ軍隊ト対等ノ取扱ヲ受クヘシ。」と定められている。

(4) ヘーグ陸戦規則四六条には、「家ノ名誉及権利、個人ノ生命、私有財産並宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ、之ヲ尊重スヘシ。私有財産ハ、之ヲ没収スルコトヲ得ス。」と定められている。

(5) ヘーグ陸戦規則五二条には、「現品徴発及課役ハ、占領軍ノ需要ノ為ニスルニ非サレハ、市区町村又ハ住民ニ対シテ之ヲ要求スルコトヲ得ス。徴発及課役ハ、地方ノ資力ニ相応シ、且人民ヲシテ其ノ本国ニ対スル作戦動作ニ加ルノ義務ヲ負ハシメサル性質ノモノタルコトヲ要ス。右徴発及課役ハ、占領地方ニ於ケル指揮官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ、之ヲ要求スルコトヲ得ス。現品ノ供給ニ対シテハ、成ルヘク即金ニテ支払ヒ、然ラサレハ領収証ヲ以テ之ヲ証明スヘク、且成ルヘク速ニ之ニ対スル金額ノ支払ヲ履行スヘキモノトス。」と定められている。

(6) ヘーグ陸戦規則五三条には、「一地方ヲ占領シタル軍ハ、国ノ所有ニ属スル現金、基金及有価証券、貯蔵兵器、輸送材料、在庫品及糧秣其ノ他総テ作戦動作ニ供スルコトヲ得ヘキ国有動産ノ外、之ヲ押収スルコトヲ得ス。海上法ニ依リ支配セラルル場合ヲ除クノ外、陸上、海上及空中ニ於イテ報道ノ伝送又ハ人若ハ物ノ輸送ノ用ニ供セラルル一切ノ機関、貯蔵兵器其ノ他各種ノ軍需品ハ、私人ニ属スルモノト雖、之ヲ押収スルコトヲ得。但シ、平和克復ニ至リ、之ヲ還付シ、且之カ賠償ヲ決定スヘキモノトス。」と定められている。

3(一)(1) 被告は、昭和四年(一九二九年)七月二七日、捕虜の待遇に関する条約(以下「ジュネーブ捕虜条約」という。)に署名した。

(2) しかし、被告は、ジュネーブ捕虜条約を批准していない。

(二)(1)  ジュネーブ捕虜条約三条には、「捕虜は、その人格及び名誉を尊重される権利を有する。婦人は、女性に対するすべてのしんしゃくをもって待遇される。捕虜は、その私権の完全な享有能力を保持する。」と定められている。

(2) ジュネーブ捕虜条約一〇条には、「捕虜は、衛生及び保健につき、できる限りの保障のある建物又は仮建物に宿泊させられる。この宿泊所は、全然湿気を避け、必要の程度に保温し且つ照明される。火災の危険に対しては、すべての予防法が講ぜられる。寝室(総面積、最少気容、寝具の設備及び材料)に関しては、捕獲国の補充部隊に対するのと同一条件でなければならない。」と定められている。

(3) ジュネーブ捕虜条約一一条には、「捕虜の食糧は、その量及び質において、補充部隊のものと同一でなければならない。右の外、捕虜は、その処分しうる食糧補足品を自ら調理する手段を供せられる。飲料水は、充分に供給される。喫煙は、許される。捕虜は、炊事場に使役されることができる。食糧に関するすべての団体的懲罰手段は、禁止する。」と定められている。

(4) ジュネーブ捕虜条約一二条には、「被服、下着及びくつは、捕獲国により捕虜に支給される。これら用品の交換及び修理は、規則的にされる。右の外、労務者は、労働の性質上必要な場合には、どこにおいても労働服を支給される。各収容所内には酒保を設け、地方的市価を支払って捕虜に食料品及び日用品を購買させることができる。酒保により収容所管理部の収める利益は、捕虜のために利用される。」と定められている。

(5) ジュネーブ捕虜条約一三条には、「交戦者は、収容所の清潔及び衛生を確保し、且つ伝染病予防のために必要なすべての衛生的措置をとる義務がある。捕虜は、生理的法則にかない且つ常に清潔に保持された設備を、日夜供せられる。右の外、収容所ができる限り設備する浴場及び灌水浴場の外に、捕虜は、身体の清潔を保つため充分な水を供給される。捕虜は、運動をし及び外気に当たる機会を与えられる。」と定められている。

(6) ジュネーブ捕虜条約一四条には、「各収容所は、捕虜がその必要とすることのあるあらゆる性質の手当を受けることができる医務室を備える。必要に応じ、隔離室が伝染病患者の用に供される。治療の費用(補欠用仮装置の費用を含む。)は、捕獲国の負担である。交戦者は、要求があったときは、治療を受けたすべての捕虜に対し、その病気の性質及び期間並びに受けた手当を示す公の証明書を交付する義務がある。交戦者は、特別協定により医師及び看護人を収容所にとどめておき、これと同国籍の捕虜を介抱させる権利を、相互的に有することができる。捕虜であって重病にかかったもの又はその病状が重大な外科手術を必要とするものは、捕獲国の費用でこれらの捕虜を治療することができるすべての軍用又は民間の病院に収容される。」と定められている。

(7) ジュネーブ捕虜条約一五条には、「捕虜の医学的検査は、少なくとも月に一回なされる。この検査は、一般の健康状態及び清潔状態の監督並びに伝染病特に結核及び花柳病疾患の検出を目的とする。」と定められている。

(8) ジュネーブ捕虜条約八九条には、「陸戦の法規慣例に関するヘーグ条約(一八九九年七月二九日のものと一九〇七年一〇月一八日のものとを問わない。)により拘束され且つこの条約に参加する諸国間の関係において、この条約は、右のヘーグ条約附属規則第二章を補足する。」と定められている(なお、「ヘーグ条約附属規則第二章」とは、ヘーグ陸戦規則の第一款第二章中の四条ないし二〇条を指すものである。)。

三  当事者の主張

1  原告らの主張

(一) 第二次世界大戦中における原告らに対する加害行為等

原告らは、第二次世界大戦中、いずれも、日本軍により、捕虜収容所又は民間抑留者収容所に収容され、労働強制及び虐待等の加害行為(以下、これらを総称して「本件各加害行為」という。)を受けた。

(1) 原告ティザリントンについて

① 原告ティザリントンの経歴

原告アーサー・ティザリントン(以下「原告ティザリントン」という。)は、大正一〇年(一九二一年)一二月一〇日に英国ランカシャー地方で出生し、昭和一四年(一九三九年)六月に軍隊に入隊し、同一六年(一九四一年)八月にマレーシアの駐屯地に伝令オートバイ兵として配属された。その後、日本軍は、マレーシアに侵攻し、同年一二月に日英間の戦闘が始まった。

② 原告ティザリントンに対する加害行為(以下「本件加害行為(1)」という。)

原告ティザリントンは、シンガポールのチャンギへ移動した後、昭和一七年(一九四二年)二月ころ、日本軍によりチャンギ刑務所に収容され、捕虜となった。日本軍は、同年八月、チャンギの捕虜全員に対して、水の支給を一日二杯に制限し、機関銃で威嚇するなどして、逃亡を企てない旨の宣誓書への署名を強要した。

日本軍は、昭和一七年(一九四二年)一〇月二五日、チャンギの捕虜のうち、原告ティザリントンを含む数百人を軍用貨物船の船倉に押し込めて、台湾へ移送した。捕虜は、トイレもなく船酔いによる嘔吐と赤痢による下痢とで悪臭が立ちこめる船倉内で衰弱し、赤痢に罹患し、多数死亡した。捕虜は、台湾の基隆港から汽車で瑞芳へ移送された後、金瓜石まで行進させられたが、この行進は船旅で衰弱した捕虜にとっては苛酷であり、一〇名ほどの捕虜が死亡した。

原告ティザリントンを含む捕虜は、金瓜石の捕虜収容所に収容されて以来、看守によって、理由もなく、平手、銃の台座、棒切れ及び竹刀等で殴打され、虐待を受けた。

原告ティザリントンを含む金瓜石捕虜収容所の捕虜は、昭和一七年(一九四二年)一二月から、金瓜石鉱山での強制労働に従事させられた。捕虜は、午前六時に起床し、朝食後、三〇分の昼休みを除いて、夕方まで金瓜石鉱山の坑内作業に従事させられた上、ささいなことで看守から暴行を受けた。金瓜石鉱山の保安は劣悪で災害が頻発し、作業中に多数の捕虜が死亡した。

金瓜石捕虜収容所の捕虜は、わずかな朝食と、昼食として弁当箱に入った米飯とたくあん、ごくまれに干魚一切れの食事しか与えられなかった。また、赤痢、脚気、ジフテリアに罹患した捕虜もいたが、日本軍は、医薬品を全く支給せず、赤十字国際委員会の視察も許可しなかった。捕虜は、食料の欠乏と医療の欠如のため、やせ衰え、次々と死亡した。金瓜石鉱山は、病人の続出と生産の停滞のため、閉鎖されることになった。

その後、原告ティザリントンを含む捕虜は、昭和二〇年(一九四五年)五月、新店庄捕虜収容所に移送されたが、炎天下でのさつまいも作りなどの農作業に従事させられた上、食料は一日三五〇グラム、その後一日二五〇グラムと制限された。原告ティザリントンは、食料の減少、過剰労働、残忍行為の増加により、精神的に異常を来し、同僚に自殺を手伝ってくれるように頼んだことがあった。

③ 収容所からの解放及びその後の経緯

原告ティザリントンは、昭和二〇年(一九四五年)八月一七日になって日本軍の降伏を知らされた。日本軍は、同年九月三日、新店庄捕虜収容所の指揮権を英国軍士官に引き渡し、原告ティザリントンは、収容所から解放された。

原告ティザリントンは、昭和二〇年(一九四五年)九月に英国リバプールに帰還し、同二二年(一九四七年)に除隊後、警察官となったが、捕虜収容所での体験による悪夢と不眠症のため仕事を継続することができなかった。また、原告ティザリントンには、同五五年(一九八〇年)ころ以降、捕虜収容所での栄養失調を原因とする視力低下の後遺障害が発症している。

(2) 原告タベンダーについて

① 原告タベンダーの経歴

原告シドニー・ジョン・アラソン・タベンダー(以下「原告タベンダー」という。)は、大正七年(一九一八年)八月一七日に英国スコットランド地方で出生し、昭和一四年(一九三九年)の第二次世界大戦勃発後、軍隊に入隊し、同一六年(一九四一年)五月にマレーシアの航空情報局部隊に兵卒として配属された。その後、日本軍は、マレーシアに侵攻し、同年一二月に日英間の戦闘が始まった。

② 原告タベンダーに対する加害行為(以下「本件加害行為(2)」という。)

原告タベンダーは、昭和一七年(一九四二年)一月ころ、日本軍により捕らえられて捕虜となり、同年六月までの間、マレーシアのクアラルンプールにあったプドー刑務所に収容されたが、死体の埋設、遮断された道路の開通などの作業に従事させられた。

原告タベンダーは、昭和一七年(一九四二年)六月ころから同年一一月ころまでの間、シンガポールのチャンギ刑務所に収容されたが、その後、タイのバンボンへと移送され、死の鉄道として知られる泰緬鉄道の建設工事の強制労働に従事させられた。原告タベンダーは、同一八年(一九四三年)一二月までの間、苛酷な線路用の枕木及び弾薬等の荷物運搬作業に従事させられた。

原告タベンダーは、昭和一八年(一九四三年)一二月、シンガポールのチャンギに移送され、飛行場建設に従事させられた。チャンギの捕虜のうち脱走を試みた者は、看守によって、処刑された。原告タベンダーは、チャンギで、赤痢、脚気及び熱帯潰瘍に罹患し、栄養失調を来した。

原告タベンダーは、捕虜となっていた間、一日に小さな茶碗二杯半の米飯、水っぽいスープ、ごくまれに干魚一枚といった食事しか与えられなかった。また、原告タベンダーを含む捕虜は、日本軍から医療行為を受けたことはなかった。

原告タベンダーを含む捕虜は、看守によって、銃の台座及び竹の棒等で殴打されるなどの虐待を受けた。原告タベンダーは、銃の台座で顔面を強く殴打され、歯の半数を失った。

③ 収容所からの解放及びその後の経緯

原告タベンダーは、昭和二〇年(一九四五年)八月にシンガポールで終戦を迎え、収容所から解放されたが、赤痢、脚気及び熱帯潰瘍の治療のため、一箇月間入院し、同年一〇月ころ英国ロンドンに帰還した。

原告タベンダーは、捕虜収容所での生活を体験したため、終戦後も、悪夢や胃の不調等の症状に苦しんだりしている。

(3) 原告ジェイムソンについて

① 原告ジェイムソンの経歴

原告ジョアン・フィリス・ジェイムソン(以下「原告ジェイムソン」という。)は、昭和三年(一九二八年)七月九日にシンガポールで出生した。原告ジェイムソンの父は、軍役を離れ、空軍省関係の現場監督をしていた。

② 原告ジェイムソンに対する加害行為(以下「本件加害行為(3)」という。)

原告ジェイムソンの父は、日本軍がシンガポールに迫ってきたため、昭和一七年(一九四二年)二月に家族をインド行きの船に乗船させたが、その船は、日本軍の攻撃によって、マレーシアのスマトラ島沖で沈没した。原告ジェイムソンは、救助されて無人島に上陸したが、日本軍に捕らえられ、スマトラ島に連行された。

原告ジェイムソンは、昭和一七年(一九四二年)七月ころ、女性の民間抑留者だけが収容されていたパレンバレン収容所に連行された。原告ジェイムソンは、熱帯地方の猛暑の下、毎日、午前六時ころから午後三時ころまで、ゴムの木を切り倒す重労働に従事させられた。

原告ジェイムソンを含むパレンバレン収容所の民間抑留者は、わずかな米飯しか与えられず、食料は不十分であった。また、民間抑留者は、看守によって、日常的に殴打されれたほか、日照りの下で食事も水も与えられず何時間も戸外に立たせられるなどの虐待を受けた。原告ジェイムソンは、死体を埋設する穴を掘っていた際、看守に口答えしたため、看守から殴打され、穴の中に蹴落とされる暴行を受けた。

原告ジェイムソンを含むパレンバレン収容所の民間抑留者の中には、看守から強姦された者が多かった。原告ジェイムソンは、幸い、強姦されたことはなかったが、いつも恐怖心にさいなまされていた。

原告ジェイムソンは、パレンバレン収容所に収容中に、マラリア、脚気及び赤痢に罹患した。

③ 収容所からの解放及びその後の経緯

原告ジェイムソンは、オランダ、英国、米国の連合軍によって収容所から解放され、英国に帰還した。

原告ジェイムソンは、民間抑留者収容所での重労働や栄養不良が原因で子宮下垂となり、四回も流産してしまった。また、原告ジェイムソンは、民間抑留者収容所での体験による悪夢に苦しめられ、日本人を見るとパニックを引き起こしてしまう状況にある。

(4) 原告ボーディンについて

① 原告ボーディンの経歴

原告ロイ・エル・ボーディン(以下「原告ボーディン」という。)は、明治四四年(一九一一年)三月二五日に米国イリノイ州で出生し、昭和一七年(一九四二年)一月ころ、フィリピンのバターンで米国軍歩兵連隊に陸軍歯科兵団少佐として配属された。その後、日本軍は、同月ころバターンに侵攻した。

② 原告ボーディンに対する加害行為(以下「本件加害行為(4)」という。)

原告ボーディンは、昭和一七年(一九四二年)四月九日、日本軍により捕らえられて捕虜となり、その後、カバナチュアン収容所に収容された。

原告ボーディンを含むカバナチュアン収容所の捕虜は、茶碗に入ったわずかな食料しか与えられず、ねずみや南京虫等の害虫が氾濫した中で眠らなければならず、収容所にはトイレもなかった。約三〇〇〇人の病気の捕虜は、治療を受けることもなく、毎日二〇人から四〇人もの捕虜が死亡した。また、脱走を企てた捕虜は、日本軍によって惨殺された。

原告ボーディンを含むカバナチュアン収容所の捕虜は、昭和一七年(一九四二年)一二月には赤十字国際委員会から供給された食料を与えられ、また、毎日少量の肉を与えられた。しかし、捕虜は、毎日八時間の苛酷な強制労働に従事させられ、また、看守によって、しばしば理由もなく、顔面を殴打され、座り込むと腹を足蹴にされ、ときには、斧の柄で殴打されるなどの虐待を受けた。さらに、捕虜は、一〇人一組に分けられ、そのうちの一人でも脱走すれば残りの者が懲罰を受けることになり、誰も脱走することができなくなった。

原告ボーディンを含むカバナチュアン収容所の捕虜は、昭和一九年(一九四四年)には肉を与えられることもなくなり、一回の食事にスプーン数杯の米飯しか与えられなくなった。捕虜は、疲弊し、空腹であったにもかかわらず、滑走路の建設作業に従事させられた。

原告ボーディンは、昭和一九年(一九四四年)九月に福岡捕虜収容所に移送され、同二〇年(一九四五年)四月に朝鮮半島のインチョイに移送された。

③ 収容所からの解放及びその後の経過

原告ボーディンは、昭和二〇年(一九四五年)九月八日、収容所から解放され、入院治療を受けた後、同二一年(一九四六年)六月から、米国軍に復職し、同三六年(一九六一年)に退役した。

(5) 原告ヘアについて

① 原告ヘアの経歴

原告ギルバート・マーティン・ヘア(以下「原告ヘア」という。)は、昭和一六年(一九四一年)三月一六日にフィリピンのマニラで出生した。原告ヘアの父は、米国陸軍技術部に軍属として雇用されていた。

② 原告ヘアに対する加害行為(以下「本件加害行為(5)」という。)

原告ヘアとその家族は、マニラに居住していたが、昭和一七年(一九四二年)一月、日本軍によって、住居からの退去を命じられ、家財を略奪された。原告ヘアは、母と親戚と共に、日本軍によって、サント・トーマス収容所に収容された。

原告ヘアを含むサント・トーマス収容所の民間抑留者は、頭にしらみがつき、至る所に南京虫がいる劣悪な環境に置かれ、シャワーの際やトイレでもプライバシーはなかった。民間抑留者の多くは、栄養失調、疾病あるいは看守による虐待が原因で死亡した。

原告ヘアは、サント・トーマス収容所に収容されていた間、栄養失調、脚気、壊血病、くる病、テング病及び猩紅熱に罹患し、飢餓に見舞われた。

その後、サント・トーマス収容所は捕虜収容所となって、民間抑留者の処遇は最悪となり、食料が減らされ、その結果、多くの民間抑留者が病死した。

日本軍は、昭和二〇年(一九四五年)二月、サント・トーマス収容所のすべての収容者を処刑することを決定した。

③ 収容所からの解放及びその後の経過

原告ヘアは、処刑を免れ、昭和二〇年(一九四五年)三月一八日、母と親戚と共に、収容所から解放され、同年四月に米国に帰還した。

原告ヘアは、米国海兵団などで稼働したが、幼児期における民間抑留者収容所での不衛生な生活環境、粗末な医療及び栄養失調を原因とする疾病により職務を遂行できず、平成四年(一九九二年)に退職を余儀なくされた。

原告ヘアは、昭和三八年(一九六三年)に虹彩炎を発病し、同四一年(一九六六年)には関節炎に襲われ、後にロイター症侯群と診断されたほか、出血性十二指腸潰瘍などを患った。

(6) 原告リネンバーグについて

① 原告リネンバーグの経歴

原告ヘルマン・エドワード・リネンバーグ(以下「原告リネンバーグ」という。)は、大正一五年(一九二六年)七月一日にオランダ領東インドのスラバヤで出生した。原告リネンバーグの父は、ホテルを経営していた。

② 原告リネンバーグに対する加害行為(以下「本件加害行為(6)」という。)

原告リネンバーグは、昭和一七年(一九四二年)五月、日本軍によって、父と共にバンドウゾ収容所に収容された。

その後、原告リネンバーグは、ジャワ南東部ケジリの農場へ移送された。ケジリの農場に収容所されていた民間抑留者は、看守からの脱走を試みた者を銃殺するとの警告を受けており、脱走は不可能であった。民間抑留者の多くは、マラリアによって死亡した。

原告リネンバーグは、昭和一九年(一九四四年)ころ、日本軍によって、熱暑の中で三日間も家畜運搬列車に閉じこめられて、西ジャワのタンゲラン収容所へ移送され、その間、二食の食事とわずかな水しか与えられなかった。原告リネンバーグを含むタンゲラン収容所の民間抑留者は、狭い部屋に押し込められ、ひどい食事しか与えられなかった。

原告リネンバーグは、昭和二〇年(一九四五年)ころ、ジャワ西部のチマヒに移送されて、陸軍用のバラックに収容され、日本軍のための穴堀り、野戦病院や兵舎の清掃等の強制労働に従事させられたが、わずかな食料しか与えられなかった。

③ 収容所からの解放及びその後の経緯

原告リネンバーグは、昭和二〇年(一九四五年)に英国軍によって収容生活から解放され、オランダやニュージーランドで生活した後、平成元年(一九八九年)四月、オーストラリアに移住した。

原告リネンバーグは、民間抑留者収容所等での生活が原因で熱帯性皮膚疾患、密閉恐怖症及び悪夢に悩まされている。

(7) 原告ツィーマンについて

① 原告ツィーマンの経歴

原告ヘンドリック・コルネリス・ツィーマン(以下「原告ツィーマン」という。)は、昭和三年(一九二八年)一二月にオランダ領東インドのジャワ島スラバヤで出生した。日本軍は、同一七年(一九四二年)、オランダ領東インドへ侵攻したが、そのころ、原告ツィーマンは、母と共に、東ジャワのマランに居住していた。

② 原告ツィーマンに対する加害行為(以下「本件加害行為(7)」という。)

原告ツィーマンは、昭和一七年(一九四二年)七月、日本軍によって、自宅を接収され、マランの一区画に収容された。

原告ツィーマンは、昭和一八年(一九四三年)初め、ジフテリアに罹患し死の危険にさらされていたにもかかわらず、日本軍によって、貨車に押し込められ、二日間、食料も水も与えられずに、中部ジャワのソロ収容所に移送された。

原告ツィーマンを含むソロ収容所の民間抑留者は、竹で作られた粗末なトイレもない小屋に収容され、下水溝の掃除、貨車の荷下ろし、墓堀り及び水道管工事等の強制労働に従事させられ、ときには徹夜で働かされたのみならず、粗末な衣服しか与えられず、裸足で坊主頭の格好を強いられたため、日射病になり死亡する者も少なくなかった。また、抑留者は、半カップの米飯と薄いタピオカの汁といった食事しか与えられず、水道栓とトイレは五〇〇人に一つの割合でしかない劣悪な環境に置かれ、多くの抑留者が、赤痢、コレラ、マラリア、ビタミンB欠乏による皮膚病、クーリー瘍及びジャングル潰瘍に罹患したが、治療を受けることはできなかった。

原告ツィーマンを含むソロ収容所の民間抑留者は、看守によって、理由もなく、銃の台座等で殴打され、熱帯の太陽の下で立たされ、一一〇キロの荷を負わされて走らされるなどの虐待を受けた。原告ツィーマンは、収容所の外から食料を持ち込んだ民間抑留者が看守によって死ぬまで殴打、足蹴にされたのを目撃し、食料の持ち込みが発覚すれば殺されると思い、恐怖のため失禁したこともあった。

原告ツィーマンは、昭和二〇年(一九四五年)一月、日本軍によって、中部ジャワ山中のアンバラワ第七収容所へ移送された。原告ツィーマンを含むアンバラワ第七収容所の民間抑留者は、貨車の荷物下ろし、木の伐採及び塹壕掘り等の強制労働に従事させられた上、炎天下にもかかわらず帽子も与えられなかったため、約三〇〇〇人の民間抑留者のうち二〇〇〇人以上が、同年八月までの間に死亡した。原告ツィーマンは、過酷な処遇と強制労働のため、やせ衰えて瀕死の状態の陥った。

③ 収容所からの解放及びその後の経緯

原告ツィーマンは、昭和二〇年(一九四五年)八月二三日に収容所から解放され、同二一年(一九四六年)五月にオランダへ行き、同二七年(一九五二年)にニュージーランドに移住した。

原告ツィーマンは、オランダへ行ってからも、民間抑留者収容所で罹患したマラリアと赤痢の症状が残っていたため、治療を受けた。しかし、原告ツィーマンは、民間抑留者収容所で罹患した脚気が原因で神経系統に損傷を受け、左半身の運動能力は完全には回復せず、また、長期間の重篤な下痢を原因とする腸の恒常的な吸収不全などに苦しんでおり、四週間に一度の割合でビタミン注射を受けなければ生存できない状態にある。

(二) ヘーグ陸戦条約三条に基づく損害賠償請求権の存在

ヘーグ陸戦条約三条は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものである。

(1) 条約解釈の手法

① 昭和四四年(一九六九年)に採択された条約法に関するウィーン条約(昭和五六年条約第一六号。以下「条約法条約」という。)は、次のとおり、条約解釈の手法について規定している。

条約法条約三一条一項には、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。」と定められている。

条約法条約三二条には、「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため、解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。(a)前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合 (b)前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合」と定められている。

② 条約法条約は、採択当時に存在していた国際慣習法を明文化したものであるから、ヘーグ陸戦条約の解釈についても適用される。

(2) ヘーグ陸戦条約三条の文理解釈

①  ヘーグ陸戦条約の趣旨及び目的は、戦争の惨害を軽減するため、交戦者相互の関係及び住民との関係において、交戦者の行動の準拠を定めることにある。そして、ヘーグ陸戦条約三条は、右の趣旨及び目的のため、ヘーグ陸戦規則に違反した交戦者に損害の賠償責任を課したものである。

ヘーグ陸戦条約三条には、賠償の概念として、国家間の賠償を意味する「reparations」ではなく、主として個人間の不法行為又は契約違反等によって生じた損害の金銭賠償を意味する「compensation」という語が用いられている。

ヘーグ陸戦規則五二条及び五三条は、現品徴発の対価の支払、押収物の還付又は賠償の相手方について明示していないが、その文脈に照らせば、その相手方は個人であると解される。

ヘーグ陸戦条約三条の締結当時、敗戦国が戦勝国に対して賠償責任を負う旨の法理(戦時賠償の法理)が確立していたが、右法理の目的は戦勝国をより富ませ敗戦国を罰することにあった。そうすると、敗戦国の国民が、同条の賠償の相手方が国であるとの解釈に従って、敗戦国を通じて同条による賠償を請求することには実効性が伴わないから、右解釈はヘーグ陸戦条約の趣旨及び目的に反する。

②  なお、被告は、国際法は第一義的には国家間の権利義務を定めるものであるから、個人は、国家に対して特定の行為を行うように国際法上の手続によって要求できる地位を与えられている場合に限り、例外的に法主体性を有するにすぎない旨を主張する。

しかし、国家は、個人に対して国際法上の権利義務を与えることができるのであって、その限度で個人は国際法上の法主体として取り扱われる。昭和三年(一九二八年)三月三日の「ダンチッヒ裁判所の管轄権」に関する常設国際司法裁判所の勧告的意見(甲第四号証参照)も、国家が個人に対して条約により直接に権利を与えることができることを認めている。

また、条約又は国際慣習法の中には、戦争法規に違反した軍隊の行為による損害についての個人の賠償請求権の存在を肯定するものが多い。例えば、戦争中に拿捕された漁船の所有者が損害賠償を求めた事件についての明治三三年(一九〇〇年)一月八日の米国連邦最高裁判所判決(甲第一九号証参照)、第一次世界大戦中に英国内で所有する木材を徴発されたエジプト国籍の法人がその補償を求めた事件についての大正一三年(一九二四年)七月一五日の英国控訴院判決(甲第二一号証参照)、及び、ギリシャの占領していたエピルス島で徴発を受けた住民が損害賠償を求めた事件についての昭和元年(一九二六年)ころのアテネ控訴裁判所判決(甲第二二号証参照)は、条約又は国際慣習法を根拠として個人又は法人の損害賠償請求権の存在を肯定している。

③ 右のように、ヘーグ陸戦条約三条は、その文理解釈によっては意味があいまい又は不明であり、しかも、同条の賠償の相手方が国であるとの解釈により不合理な結果がもたらされるため、解釈の補足的な手段として、条約の準備作業を検討する必要がある。

(3) ヘーグ陸戦条約三条の起草過程からの解釈

①  明治四〇年(一九〇七年)の第二回ヘーグ国際平和会議において、明治三二年(一八九九年)に締結された陸戦の法規慣例に関する条約(以下「一八九九年ヘーグ陸戦条約」という。)及びこれに附属する陸戦規則(以下「一八九九年ヘーグ陸戦規則」という。)の改正作業が行われた。

ドイツ代表は、明治四〇年(一九〇七年)七月三一日、第二回ヘーグ国際平和会議における審議の過程で、一八九九年ヘーグ陸戦規則に関して、同規則に違反する行為によって個人に生じた損害の賠償についての次のような修正案(以下「ドイツ修正案」という。)を提案し、右修正案について、損害を受けた個人が士官又は一兵士に帰せられる行為の補償を政府に直接求めることを認める趣旨のものであると宣言した。

第一条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は、その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為に付き責任を負う。

現金による即時の賠償が予定されていない場合において、交戦当事者が生じた損害及び支払うべき賠償額を決定することが、当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは、右決定を延期することができる。

第二条 (同規則の)違反行為により交戦相手側を侵害したときは、賠償の問題は、和平の締結時に解決するものとする。

ドイツ修正案の唯一の問題は、右修正案における中立国の国民と敵国の国民との間の賠償方法の区別であった。そのため、検討委員会は、明治四〇年(一九〇七年)八月一四日、ドイツ修正案を一箇条にまとめ、中立の者とその他の者との間に原則的相違を設けない趣旨で、「本規則の条項に違反する交戦当事者は、損害が生じたときは、損害賠償の責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。」との案文を採択した。右案文は、これに基づく賠償責任を負うのは政府であるため、軍隊に対する指令に関するヘーグ陸戦規則ではなく、ヘーグ陸戦条約三条に盛り込まれた。そして、ヘーグ陸戦条約三条を含む最終議定書は、同年一〇月一七日、全会一致で採択された。

なお、ドイツ修正案における、損害を受けた個人が士官又は一兵士に帰せられる行為の補償を政府に直接求めることを認める趣旨については、これを当然の前提として採択されたものであった。

② したがって、ヘーグ陸戦条約三条は、その起草過程に照らせば、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものと解釈されるべきである。

③ なお、ジュネーブ捕虜条約は、ヘーグ陸戦規則を補足するものである上、被告は、昭和一六年(一九四一年)一月二九日付け、及び、同一七年(一九四二年)二月一三日付けで、スイス公使に対し、占領地における日本軍の行為についてジュネーブ捕虜条約を準用すると回答していたから、ジュネーブ捕虜条約は、本件各加害行為に準用される。

(4) ヘーグ陸戦条約三条に基づく個人の国家に対する損害賠償請求を認容した実行例

第二次世界大戦後の占領下のドイツにおいて、英国占領軍の使用する自動車によって損害を受けた住民が、ドイツの行政機関に対し、損害賠償を求めた事件についての昭和二七年(一九五二年)四月九日のミュンスター行政控訴裁判所判決(甲第二九号証参照)は、ヘーグ陸戦条約三条に基づいて右損害賠償請求を認容した。

(三) 国際慣習法に基づく損害賠償請求権の存在

本件各加害行為の時点までに、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定する国際慣習法(以下「本件国際慣習法」という。)が成立していた。

(1) ヘーグ陸戦条約は、次の諸点からも明らかなとおり、戦争に関する国際慣習法を宣言したものである。

① 昭和二一年(一九四六年)のニューンベルグ国際軍事裁判所判決は、「同一四年(一九三九年)までに、ヘーグ陸戦条約に定められた規則はすべての文明諸国によって認められ、戦争の法規慣例を宣言したものとみなされる。」旨を判示した。

② 昭和二三年(一九四八年)の東京極東軍事裁判所判決は、「ヘーグ陸戦条約は、国際慣習法の立派な証拠であり、与えられた事態に適用されるべき国際慣習法を決定するに当たって、他のすべての入手し得る証拠とともに、本裁判所が考慮に入れるべきものである。」旨を判示した。

③ 平成八年(一九九六年)七月八日の国際司法裁判所の「核兵器の威嚇又は使用の合法性」に関する勧告的意見は、ヘーグ陸戦条約が、国際慣習法の一部としての国際人道法条約であることを表明した。

(2) 前記のとおり、ヘーグ陸戦条約三条は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものであるところ、同条も戦争に関する国際慣習法を宣言したものである。

(3) したがって、遅くとも本件各加害行為の時点までには、ヘーグ陸戦条約三条と同一内容の本件国際慣習法が成立していた。

(四) ヘーグ陸戦条約三条及び本件国際慣習法の裁判規範性

ヘーグ陸戦条約三条及び本件国際慣習法は、国内において直接適用が可能であり、本件についての裁判規範となる。

(1) 条約の直接適用の要件

条約は、当事国がある条約を国内において直接適用する意思を有している場合には、当該条約の直接適用が可能である。昭和三年(一九二八年)三月三日のダンチッヒ裁判所の管轄権」に関する常設国際司法裁判所の勧告的意見(甲第四号証参照)も、条約が国内裁判所で適用可能か否かは当事国の意思によって決まることを示している。

(2) ヘーグ陸戦条約三条及び本件国際慣習法の直接適用可能性

① ヘーグ陸戦条約三条は、国内における直接適用可能性について明示していない。しかし、条約の文言や起草過程において、国内における直接適用可能性が明示されることはほとんどないから、そのことから直ちに、ヘーグ陸戦条約三条の国内における直接適用可能性を否定することはできない。

② 前記のヘーグ陸戦条約三条の起草過程に照らせば、起草者は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人が国内裁判所に訴えを提起できるとの意思を有していた。

③ また、ヘーグ陸戦条約三条は、国内における軍隊への訓令が必要とされるヘーグ陸戦規則の中ではなく、ヘーグ陸戦条約の本文の中に規定されたことに照らせば、国内における立法活動に依拠することなく、国家が個人に対して責任を負う趣旨の規定であると認められる。

④ そして、第二次世界大戦後の占領下のドイツにおいて、英国占領軍の使用する自動車によって傷害を受けた住民が、ドイツの行政機関に対し、損害賠償を求めた事件についての昭和二七年(一九五二年)四月九日のミュンスター行政控訴裁判所判決(甲第二九号証参照)は、ヘーグ陸戦条約三条に基づく右損害賠償請求を認容し、同条が国内において直接適用可能であることを判示した。

⑤ さらに、軍事占領下においては占領者と個人との権力関係を規制するのは国際戦争法規であるから、平時においては国内の法制度を介して国際法が適用されるような事柄に対しても、占領下においては直接国際戦争法規が適用される。第一次世界大戦中にドイツ軍によってヘーグ陸戦規則五二条に定められた領収証の発行を受けずに馬を徴発された住民が、その後その馬を所持していた住民に対し、馬の返還を求めた事件についての大正一〇年(一九二一年)三月三日のベルギー破毀院判決、同種の事件についての同年二月一五日のポーランド最高裁判所判決及び同一一年(一九二二年)三月二七日のハンガリー最高裁判所決定は、ヘーグ陸戦規則が国内において直接適用可能であることを判示した(甲第二八号証参照)。

⑥ したがって、ヘーグ陸戦条約三条及びこれと同一内容の本件国際慣習法の当事国は、同条及び本件国際慣習法を国内において直接適用する意思を有していた。

(3) ヘーグ陸戦条約三条及び本件国際慣習法の明確性

なお、被告は、条約の直接適用の要件として、当該条約の規定上、私人の権利義務が明白、確定的、完全かつ詳細に定められていて、その内容を具体化する法令に待つまでもなく、国内での直接適用が可能であること(客観的要件)が必要であるところ、ヘーグ陸戦条約三条及び本件国際慣習法は右の客観的要件を欠くと主張する。

しかし、民法七〇九条が一般的な不法行為の成立要件を定めているにすぎないのと比較しても、ヘーグ陸戦条約三条及び本件国際慣習法は、十分に明確であり、右の客観的要件に欠けることもない。

(五) 被告の責任

(1) 原告ティザリントンに対する責任

本件加害行為(1)は、ヘーグ陸戦規則四条、六条及び七条、ジュネーブ捕虜条約三条、一〇条ないし一五条に違反する。

したがって、被告には、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法に基づき、原告ティザリントンに対し、後記の損害を賠償する責任がある。

(2) 原告タベンダーに対する責任

本件加害行為(2)は、ヘーグ陸戦規則四条、六条及び七条、ジュネーブ捕虜条約三条、一〇条ないし一五条に違反する。

したがって、被告には、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法に基づき、原告タベンダーに対し、後記の損害を賠償する責任がある。

(3) 原告ジェイムソンに対する責任

本件加害行為(3)は、ヘーグ陸戦規則四六条に違反する。

したがって、被告には、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法に基づき、原告ジェイムソンに対し、後記の損害を賠償する責任がある。

(4) 原告ボーディンに対する責任

本件加害行為(4)は、ヘーグ陸戦規則四条、六条及び七条、ジュネーブ捕虜条約三条、一〇条ないし一五条に違反する。

したがって、被告には、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法に基づき、原告ボーディンに対し、後記の損害を賠償する責任がある。

(5) 原告ヘアに対する責任

本件加害行為(5)は、ヘーグ陸戦規則四六条に違反する。

したがって、被告には、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法に基づき、原告ヘアに対し、後記の損害を賠償する責任がある。

(6) 原告リネンバーグに対する責任

本件加害行為(6)は、ヘーグ陸戦規則四六条に違反する。

したがって、被告には、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法に基づき、原告リネンバーグに対し、後記の損害を賠償する責任がある。

(7) 原告ツィーマンに対する責任

本件加害行為(7)は、ヘーグ陸戦規則四六条に違反する。

したがって、被告には、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法に基づき、原告ツィーマンに対し、後記の損害を賠償する責任がある。

(六) 原告らの損害

各自合計二万二〇〇〇米国ドル

(1) 慰謝料 各自二万米国ドル

原告らは、本件各加害行為によって、虐待等の肉体的、精神的苦痛、家族の結合を否定された精神的苦痛、長年にわたり蓄積した財産の喪失、教育の機会を奪われた損失などの被害を被り、捕虜収容所又は民間抑留者収容所から解放された後の生活にも多大の障害を受けた。このような原告らの損害に対する慰謝料としては、少なくとも、各自二万米国ドルが相当である。

(2) 弁護士費用

各自二〇〇〇米国ドル

本訴の提起及び遂行のための弁護士費用としては、各自二〇〇〇米国ドルが相当である。

(七) 要約

よって、原告らは、被告に対し、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法に基づく損害賠償として、それぞれ二万二〇〇〇米国ドル及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成七年三月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  被告の主張

(一) ヘーグ陸戦条約三条に基づく損害賠償請求権の不存在

ヘーグ陸戦条約三条は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものではない。

(1) 条約解釈の手法

① 条約当事国の意思は、条約文に表明されるから、条約の解釈は、用語の自然又は通常の意味内容により客観的にされるべきである。

② 条約当事国が条約上の権利義務をどのように理解しているかを示す証拠として、条約締結後の慣行等の実行例を考慮することができる。

③ 条約の起草過程は、条約の文言があいまい又は不明確な場合に、条約の解釈を補足するものとして、例外的に考慮し得るものにすぎない。

(2) ヘーグ陸戦条約三条の文理解釈

①  国際法は、第一義的には国家間の権利義務を定めるものであるから、個人の生活関係又は権利義務関係を規律の対象としたとしても、そこに規定されているのは国家間の国際法上の権利義務にすぎない。

また、国際法は、国家間の権利義務を定めるものであるから、ある国家が国際法に違反する行為によって責任を負うべき場合、その国家に対して責任を追及できる主体は国家である。当該違反行為によって個人が被害を被ったとしても、加害国に対して責任を追及できる主体は、被害者の所属する国家であり、国家が外交保護権等を行使することによって被害者の救済が図られるのである(国家責任の法則)。

そして、個人は、国際法によって、国家に対しての特定の行為を行うように国際法上の手続によって要求できる地位を与えられている場合に限り、例外的に法主体性を有するにすぎない。

② ヘーグ陸戦条約三条には、ヘーグ陸戦規則に違反した交戦当事国が責任を負うべき相手方や、その責任の履行方法に関する定めはない。また、ヘーグ陸戦条約には、個人の国家に対する損害賠償請求権を明示した条項はない。

③ 赤十字国際委員会は、昭和二四年(一九四九年)のジュネーブ諸条約についての解説書を同二七年(一九五二年)に刊行したが、右解説書には、「捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーブ条約」(昭和二八年条約第二五号。以下「一九四九年ジュネーブ第三条約」という。)五一条について、「条約の違反行為に対するこの物質上の賠償に関し、被害者が、違反行為を行った者が所属していた国に対して個人として訴訟を提起することは、少なくとも現存の法律制度の下においては、想像しがたいことである。そうした請求は、国のみが他国に提出することができるのである。」との記述がある。右の記述は、赤十字国際委員会が、ヘーグ陸戦条約三条についても、国家間の責任を定めた規定であるとの見解を持っていたことを示すものである。

④ したがって、ヘーグ陸戦条約三条は、その文理解釈によれば、ヘーグ陸戦規則に違反した交戦当事国が、相手国に対して賠償責任を負うこと(国家責任の法理)を規定したものと解される。

(3) ヘーグ陸戦条約三条に基づく個人の国家に対する損害賠償請求を認容した実行例の不存在

① ヘーグ陸戦条約三条が締結されて以来、同条に基づいて個人に対する損害賠償が実行された例はない。

② したがって、ヘーグ陸戦条約三条は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものである旨の原告らの主張は失当である。

(4) ヘーグ陸戦条約三条の起草過程からの解釈

① 右のとおり、ヘーグ陸戦条約三条は、その文理解釈からも、また、条約締結後の実行例からも、国家間の権利義務を定めたものであることが明らかである。したがって、ヘーグ陸戦条約三条の起草過程からの解釈についての原告らの主張は、その解釈の手法自体から失当である。

② 仮に、ヘーグ陸戦条約三条の起草過程を踏まえて解釈するとしても、その起草過程においては、個人に生じた損害の救済について、いかなる方法でこれを具体化し、実現していくかについての審議はされなかった。したがって、ヘーグ陸戦条約三条の起草過程に照らせば、同条は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものである旨の原告らの主張は失当である。

(二) 国際慣習法に基づく損害賠償請求権の不存在

原告らの主張する本件各加害行為の時点までに、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定する本件国際慣習法は成立していなかった。

(1)① 原告らは、遅くとも本件各加害行為の時点までに、ヘーグ陸戦条約三条と同一内容の、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定する本件国際慣習法が成立していた旨を主張する。

② しかし、前記のとおり、ヘーグ陸戦条約三条は、右のような損害賠償請求権を規定したものではない。したがって、原告らの右主張は失当である。

(2)① 国際慣習法は、法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習であり、その成立のためには、諸国家の行為の積み重ねを通じて一定の国際慣行が確立していること(一般慣行)、及び、右の国際慣行を法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要である。

② ところで、ヘーグ陸戦条約三条が締結されて以来、同条に基づいて個人に対する損害賠償が実行された例はない。

③ また、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人に対し、右違反行為をした者の所属する国家が損害賠償をした例は、存在しない。

④ したがって、原告らの主張する本件各加害行為の時点までに、前記の損害賠償請求権の存在を肯定し、これを実行する国際慣行が確立し、右の国際慣行を法的な義務として確信する諸国家の信念が存在していたとは認められないから、本件国際慣習法は成立していなかった。

(三) ヘーグ陸戦条約三条および本件国際慣習法の裁判規範性

ヘーグ陸戦条約三条および本件国際慣習法は、国内における直接適用が可能ではないから、本件についての裁判規範とはならない。

(1) 条約の直接適用の要件

条約の国内における直接適用の要件としては、① 当該条約について、私人の権利義務を定め、国内裁判所で直接適用を可能なものにするという当事国の意思が確認できること(主観的要件)、② 当該条約の規定上、私人の権利義務が明白、確定的、完全かつ詳細に定められていて、その内容を具体化する法令に待つまでもなく、国内における直接適用が可能であること(客観的要件)、が必要である。

(2) 主観的要件

① ヘーグ陸戦条約三条が締結されて以来、同条に基づいて国家の個人に対する損害賠償が実行された例はない。

② したがって、当事国がヘーグ陸戦条約三条及び本件国際慣習法を国内において直接適用する意思を有していたとは認められず、直接適用のための主観的要件に欠ける。

(3) 客観的要件

① ヘーグ陸戦条約三条には、ヘーグ陸戦規則に違反した交戦当事国が責任を負うべき相手方や、その責任の履行方法に関する定めは一切存在しない。

② したがって、ヘーグ陸戦条約三条及び本件国際慣習法には、私人の権利義務が明白、確定的、完全かつ詳細に定められておらず、直接適用のための客観的要件に欠ける。

(四) 要約

以上のとおり、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法を根拠とする原告らの本件各請求は、いずれも失当である。

四  主要な争点

当事者の主張は前記のとおりであるところ、本件における主要な争点は次のとおりである。

1  ヘーグ陸戦条約三条に基づく損害賠償請求権の存否

ヘーグ陸戦条約三条は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものか。

2  本件国際慣習法に基づく損害賠償請求権の存否

第二次世界大戦中に日本軍から本件各加害行為を受けたと原告らが主張する昭和一七年(一九四二年)ないし同二〇年(一九四五年)ころまでに、ヘーグ陸戦規則及びジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定する本件国際慣習法が成立していたか。

第三  争点に対する判断

原告らは、第二次世界大戦中、いずれも、日本軍により、捕虜収容所又は民間抑留者収容所に収容され、本件各加害行為を受けたなどと主張して、被告に対し、ヘーグ陸戦条約三条又は本件国際慣習法に基づき、本件各加害行為によって被った損害の賠償を請求するところ、本件では、ヘーグ陸戦条約三条に基づく損害賠償請求権の存否(争点1)、及び、本件国際慣習法に基づく損害賠償請求権の存否(争点2)について争いがあるので、まず、これらの点について順次判断する。

一  判断の前提となる事実(ヘーグ陸戦条約の締結及び同条約三条に基づく損害賠償の実行例等)について

前記第二の二の争いのない事実等に、証拠(甲第一ないし第四号証、第六ないし第一一号証、第一八ないし第二七号証、第二九ないし第三三号証、第三六ないし第四〇号証、第四二号証、乙第一ないし第七号証、第一二、第一三号証)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の各事実が認められる。

1  ヘーグ陸戦条約の締結等

(一) 被告は、明治四〇年(一九〇七年)一〇月一八日、ヘーグ陸戦条約(明治四五年条約第四号)及びこれに附属するヘーグ陸戦規則に署名し、同四四年(一九一一年)一一月六日にヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則を批准し、同年一二月一三日にこれらの批准書を寄託し、同四五年(一九一二年)一月一三日にこれらを公布した。

(二) ヘーグ陸戦条約の前文中には、「締結国ノ所見ニ依レハ、右条規ハ、軍事上ノ必要ノ許ス限、努メテ戦争ノ惨害ヲ軽減スルノ希望ヲ以テ定メラレタルモノニシテ、交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ、交戦者ノ行動ノ一般ノ准繩タルヘキモノトス。」と定められている。

(三) ヘーグ陸戦条約三条には、「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之ガ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。」と定められている(フランス語による正文は、別紙1のとおり。英語による訳文は、別紙2のとおり。なお、「前記規則」とは、ヘーグ陸戦規則を指すものである。)。

(四) ヘーグ陸戦条約三条には、ヘーグ陸戦規則に違反した交戦当事国が責任を負うべき相手方や、その責任の履行方法に関する定めはない。また、ヘーグ陸戦条約には、個人の国家に対する損害賠償請求権を明示した条項はない。

(五) ヘーグ陸戦条約に附属するヘーグ陸戦規則五二条及び五三条も、現品徴発の対価の支払、押収物の還付又は賠償の相手方について明示していない。

2  国際法上の個人の法主体性

(一) 国際法上の個人の法主体性は、次のとおり、例外的な場合に限り認められる。

(1) 国際法は、第一義的には国家間の権利義務を定めるものであるから、個人の生活関係又は権利義務関係を規律の対象としたとしても、そこに規定されているのは国家間の国際法上の権利義務にすぎない。

(2) また、国際法は、国家間の権利義務を定めるものであるから、ある国家が国際法に違反する行為によって責任を負うべき場合、その国家に対して責任を追及できる主体は国家である。当該違反行為によって個人が被害を被ったとしても、加害国に対して責任を追及できる主体は、被害者の所属する国家であり、国家が外交保護権等を行使することによって被害者の救済が図られる(国家責任の法理)。

(3) そして、個人は、国際法によって、国家に対して特定の行為を行うように国際法上の手続によって要求できる地位を与えられている場合に限り、例外的に法主体性を有するにすぎない。

(二) ヘーグ陸戦条約の締結当時、次のような国家責任の法理が確立していた。

(1) 国際法上、国民が国際法に違反する行為によって損害を被った場合、被害者個人ではなく、被害者の所属する国家が、外交保護権を行使して、加害国に対し、その賠償を請求することができる(国家責任の法理)。いわゆるマヴロマチス事件についての常設国際司法裁判所判決も、右の国家責任の法理が存在することを認めた(甲第四〇号証参照)。

(2) 国家責任の法理の下においては、被害者が被った損害についての賠償請求権は、国家のみが行使できる権利であり、国家は、被害額に満たない金額の賠償によって右の請求権を処理することもできるし、一切の賠償を得ずに右の請求権を消滅させることもできる。

(3) 加害国と被害国との間で、、混合仲裁裁判所を設置し、そこで右の請求権を確定し、被害者に直接金銭賠償をする合意がされた場合には、例外的に、個人が直接金銭賠償を受けることができる。

3  ヘーグ陸戦条約三条に基づく個人の国家に対する損害賠償請求を認容した実行例の不存在

(一) 第二次世界大戦後の占領下のドイツにおいて、英国占領軍の使用する自動車によって傷害を受けた住民が、ドイツの行政機関に対し、損害賠償を求めた事件では、逸失利益の外に被った苦痛と傷害についての損害賠償が認められるか否かが争点となったが、右事件についての昭和二七年(一九五二年)四月九日のミュンスター行政控訴裁判所判決は、「原告の請求は、国内公法だけではなく国際法にも基づくものである。ヘーグ陸戦条約三条の規定によると、国家には、その軍隊の構成員によって犯されたすべての行為について責任があり、文民の保護のため、損害を引き起こした者の側に過失が存在することは賠償責任の前提ではない。それゆえ、同条が占領者にその軍隊の構成員によって行われた行為に関して絶対責任を課しているということは、国際法の争いのない原則である。国際法の規定するこの絶対責任の枠組みの中では、国家には非物質的損害に対しても賠償する義務がある。我々は、ヘーグ陸戦条約がドイツ占領に十分に適用可能か否かという問題を判断する必要がない。ともかく、ヘーグ陸戦条約の基礎をなす国際慣習法は、すべての文明国の一様な見解と慣行から発展したものであって、状況と利益の均衡が交戦国の占領の場合と同様であれば、適用が可能である。」旨を判示して、逸失利益の外に被った苦痛と傷害についての損害賠償を認めた(甲第二九号証参照)。

しかし、右判決は、ヘーグ陸戦条約三条が過失の有無を問わず非物質的損害についての賠償責任を認めていることを前提として同条の法理に従って結論を導いたものにすぎず、同条を直接適用し同条に基づいて個人の損害賠償請求を認容したものであるか否かは明らかでない。

(二) パナマの企業が、平成元年(一九八九年)の米国軍のパナマ侵攻後の略奪及び暴動により被った損害について、米国政府に対し、ヘーグ陸戦条約三条に基づいて賠償を求めた事件についての同四年(一九九二年)六月一六日の米国第四巡回区連邦控訴裁判所判決は、同条が個人の加害国に対する損害賠償請求権を与えたものではない旨を判示して、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を否定した(乙第一二号証参照。)

(三) ナチスの大虐殺から逃れ生き残った米国民が、ナチスの強制収容所に監禁された際の負傷及び労働強制に基づいて被った被害について、ドイツ連邦共和国に対し、ヘーグ陸戦条約三条に基づいて賠償を求めた事件についての平成六年(一九九四年)七月一日の米国コロンビア特別巡回区連邦控訴裁判所判決は、同条が個人の加害国に対する損害賠償請求権を与えたものではない旨を判示して、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を否定した(乙第一三号証参照)。

(四) 以上のとおり、ヘーグ陸戦条約三条に基づく個人の国家に対する損害賠償請求を認容した実行例が存在する事実は、本件全証拠によっても、認めることはできない。

4  条約又は国際慣習法に基づく個人の国家に対する損害賠償請求を認容した実行例の不存在

(一) 戦争中に拿捕された漁船の所有者が損害賠償を求めた事件についての明治三三年(一九〇〇年)一月八日の米国連邦最高裁判所判決は、非武装で平和的に操業する沿岸漁船が戦時捕獲物としての拿捕から除外される国際慣習法が米国法の一部として裁判所を拘束する旨を判示した(甲第一九号証参照。)

しかし、右判決は、条約又は国際慣習法を根拠として個人の国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定したものであるか否かは明らかでない。

(二) 第一次世界大戦中に英国内で所有する木材を徴発されたエジプト国籍の法人が、英国国王に対して、その補償を求めた事件についての大正一三年(一九二四年)七月一五日の英国控訴院判決は、徴発による損害の救済はその所属する国家が外交交渉によって請求する方法によってのみ実現しうるとの英国国王側の主張を退け、同九年(一九二〇年)の賠償法に規定された基準により補償の評価がされなければならない旨を判示した(甲第二一号証参照)。

しかし、右判決は、バンクス判事が、国際法は、交戦国がその領域内で発見された中立国民の所有する資産を徴発する権利を認めているが、その権利の行使は同時に完全な補償をする義務を含んでおり、大正九年(一九二〇年)の賠償法とは関係なく、国際法により補償を求めることができる旨の少数意見を付していることから明らかなように、条約又は国際慣習法を根拠として個人の国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定した事案ではない。

(三) ギリシャの占領していたエピルス島で徴発を受けた住民が、ギリシャ政府に対して、損害賠償を求めた事件についての昭和元年(一九二六年)ころのアテネ控訴裁判所判決は、ヘーグ陸戦規則四六条及び五三条を適用する旨を判示した(甲第二二号証参照)。

しかし、右判決は、損害賠償を認めた根拠が不明であり、条約又は国際慣習法を根拠として個人の国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定したものであるか否かは明らかでない。

5  ヘーグ陸戦条約三条の起草過程

(一) 審議の経過

(1) 明治四〇年(一九〇七年)の第二回ヘーグ国際会議において、一八九九年ヘーグ陸戦条約及びこれに附属する一八九九年ヘーグ陸戦規則の改正作業が行われた。

(2) ドイツ代表は明治四〇年(一九〇七年)七月三一日、第二回ヘーグ国際平和会議において、一八九九年ヘーグ陸戦規則に関して、次のようなドイツ修正案を提案した。

① 第一条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は、その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為に付き責任を負う。

現金による即時の賠償が予定されていない場合において、交戦当事者が生じた損害及び支払うべき賠償額を決定することが、当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは、右決定を延期することができる。

② 第二条 (同規則の)違反行為により交戦相手側を侵害したときは、賠償の問題は、和平の締結時に解決するものとする。

(3) ドイツ修正案は、使用者がその被用者又は職員の行為につき責任を負うという私法の原則を導入して、一八九九年ヘーグ陸戦規則に違反するあらゆる場合において、右違反行為をした者の所属する国家に責任を負わせることによって、各国の軍隊構成員に一八九九年ヘーグ陸戦規則を遵守させることを目的とするものであった。

(二) 各国代表の発言

(1) ドイツ代表は、「一八九九年ヘーグ陸戦条約によれば、各国政府は、その軍隊に対して、一八九九年ヘーグ陸戦規則に従った訓令を出す以外の義務を負わない。一八九九年ヘーグ陸戦規則は、軍隊に対する訓令の一部となるから、その違反行為は、軍事刑罰法規により処断される。しかし、軍事刑罰法規による処断だけでは、あらゆる個人の違反行為を予防することができないことは明らかである。かかる状況にあっては、一八九九年ヘーグ陸戦規則の違反行為による結果について、政府は、その管理監督の過失が立証されない限り責任を負わないという過失責任の法理によるとするのでは不十分である。右法理によると、政府には何の過失もないというのがほとんどであろうから、一八九九年ヘーグ陸戦規則の違反により損害を受けた者は、政府に対して損害賠償を請求することはできず、また、有責の士官又は兵卒に対し損害賠償を請求しても多くの場合は賠償を得ることはできないであろう。したがって、我々は、政府が、軍隊を組成する者の行った一八九九年ヘーグ陸戦規則に違反する行為による一切の責任を負うべきであると考える。その責任、損害の程度及び賠償の支払方法の決定に当たっては、中立の者と敵国の者で区別をし、中立の者が損害を受けた場合は、交戦行為と両立する最も迅速な救済を確保するために必要な措置を講じるべきであり、一方、敵国の者が損害を受けた場合には、賠償の問題の解決を和平の回復の時まで延期することが必要不可欠である。」などと述べた。

(2) フランス代表は、「ドイツ修正案に見られる主張は、中立国の国民と侵略地又は占領地に居住する交戦国の国民とを区別し、前者に有利な地位を与え、彼らにいわゆる中立の配当を認めようとするものである。個人のために採られる保護措置は、中立の者か交戦相手側の者かにより区別を設けることなく、すべての者に対し同様に適用されるべきであると考える。」などと述べた。

(3) スイス代表は、ドイツ修正案に賛意を表明し、「ドイツ修正案が中立の者に許し難い特権を与えるというのは誤りである。ドイツ修正案が示している原則は、損害を受けたすべての個人に対し、敵国の国民であるか中立国の国民であるかを問わず適用可能である。これら二つのカテゴリーの被害者、すなわち権利保有者の間に設けられた唯一の区別は、賠償の支払に関するものであり、この点に関する両者間の違いは物事の性質そのものにある。中立の者に対する賠償の支払は、責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり、また、平和な関係を維持しており、両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため、大抵の場合、即時に行い得るであろう。このような容易さないし可能性は、戦争という一大事により、交戦国同士の間では存在しない。賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが、交戦国同士の間での賠償の支払は、和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないであろう。」などと述べた。

(4) 英国代表は、「ドイツ修正案においては、中立の者に対し特権的地位が与えられているが、これを受け入れることはできない。第一条が中立の者に対し受けた損害の賠償を交戦当事者に要求する権利を与えているのに比べ、第二条では交戦相手側の者については賠償は和平の締結時に解決するとしている。したがって、交戦相手側の者にとっては、賠償は平和条約に盛り込まれる条件次第、交戦国間の交渉の結果次第ということになる。」などと述べた。

(5) 各国代表の発言中には、一八九九年ヘーグ陸戦規則に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定又は確認した発言はなかった。

(6) スイス代表や英国代表の発言に照らせば、第二回ヘーグ国際平和会議の各国代表は、ドイツ修正案における損害の賠償方法として、国家が国家に対して損害賠償請求権を行使することを念頭に置いていたことが明らかである。

(三) ヘーグ陸戦条約の採択等

(1) 検討委員会は、明治四〇年(一九〇七年)八月一四日、ドイツ修正案を一箇条にまとめ、中立の者とその他の者との間に原則的相違を設けない趣旨で、「本規則の条項に違反する交戦当事者は、損害が生じたときは、損害賠償の責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。」との案文を採択した。右案文は、これに基づく賠償責任を負うのは政府であるため、軍隊に対する指令に関するヘーグ陸戦規則ではなく、ヘーグ陸戦条約三条に盛り込まれた。そして、ヘーグ陸戦条約三条を含む最終議定書は、同年一〇月一七日、全会一致で採択された。なお、ヘーグ陸戦条約三条においては、ドイツ修正案とは異なり、ヘーグ陸戦規則に違反した交戦当事国が責任を負うべき相手方の記載が削除されている。

(2) また、ヘーグ陸戦条約三条の起草過程においては、個人に生じた損害の救済について、その具体化及び実現方法に関する審議はされなかった。

6  赤十字国際委員会のヘーグ陸戦条約三条の解釈

(一) 赤十字国際委員会は、昭和二四年(一九四九年)のジュネーブ諸条約についての解説書を同二七年(一九五二年)に刊行したが、右解説書には、一九四九年ジュネーブ第三条約(昭和二八年条約第二五号)五一条について、「条約の違反行為に対するこの物質上の賠償に関し、被害者が、違反行為を行った者が所属していた国に対して個人として訴訟を提起することは、少なくとも現存の法律制度の下においては、想像しがたいことである。そうした請求は、国のみが他国に提出することができるのである。」との記述がある(乙第一号証参照)。

(二) 国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書(一九四九年ジュネーブ第三条約に追加される国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する議定書)九一条には、「諸条約(昭和二四年(一九四九年)のジュネーブ諸条約)又はこの議定書に違反した紛争当事国は、必要な場合には、賠償を支払う義務を負う。紛争当事国は、自国の軍隊の一部を構成する者が行ったすべての行為について責任を負う。」と定められている。そして、赤十字国際委員会は、右追加議定書についての解説書を同六二年(一九八七年)に刊行したが、右解説書には、右追加議定書九一条について、「賠償を受ける権利を有する者は、通常は紛争当事国又はその国民である。」との記述がある(甲第四二号証参照)。

7  条約法条約の締結

(一) 条約法条約(昭和五六年条約第一六号)は、昭和四四年(一九六九年)五月二三日に採択され、同五五年(一九八〇年)一月二七日に効力が発生した。

(二) 被告は、昭和五六年(一九八一年)五月二九日に条約法条約を国会で承認し、同年七月二日にその加入書を寄託し、同月二〇日に条約法条約を公布した。

(三) 条約法条約は、次のとおり、条約解釈の手法について規定している。

(1) 条約法条約三一条一項には、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。」と定められている。

(2) 条約法条約三二条には、「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため、解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。(a)前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合 (b)前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合」と定められている。

(四) 条約法条約四条本文には、「この条約は、自国についてこの条約の効力が生じている国によりその効力発生の後に締結される条約についてのみ適用する。」との規定があり、同条約は遡及しない旨が規定されている。

二 ヘーグ陸戦条約三条に基づく損害賠償請求権の存否(争点1)について

1 条約解釈の手法

(一)  前認定のとおり、条約法条約は、昭和四四年(一九六九年)に採択されたものであり、かつ、同条約は遡及しない旨が規定されているから、明治四〇年(一九〇七年)に締結されたヘーグ陸戦条約の解釈の直接の準則となるものではない。

(二)  しかし、条約当事国の意思は、条約文に表明されるから、条約は、文脈により、かつ、その趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従って解釈すべきであり(文理解釈)、また、右の文理解釈によっては意味があいまい又は不明な場合、あるいは、明らかに常識に反し又は不合理な結果がもたらされる場合には、事後の実行例及び条約の起草過程等をも考慮して解釈すべきである。

2 ヘーグ陸戦条約三条の文理解釈

(一)  前認定の各事実(前記第二の二2の(一)ないし(三)、前記第三の一の1、2及び6参照)によれば、次の諸点が明らかである。

(1)  ヘーグ陸戦条約の趣旨及び目的は、その前文の規定から明らかなとおり、戦争の惨害を軽減するため、交戦者相互間の関係及び住民との関係において、交戦者の行動の準拠を定めることにある。そして、ヘーグ陸戦条約三条は、右の趣旨及び目的を実現するため、ヘーグ陸戦規則に違反した者の所属する国家に対し、損害の賠償責任を課したものである。

(2)  国際法上の個人の法主体性は、例外的な場合に限り認められる。また、ヘーグ陸戦条約の締結当時、国民が国際法に違反する行為によって損害を被った場合、被害者個人ではなく、被害者の所属する国家が、外交保護権を行使してその賠償を請求することができるとの国家責任の法理が確立していた。

(3)  ヘーグ陸戦条約三条には、ヘーグ陸戦規則に違反した交戦当事国が責任を負うべき相手方や、その責任の履行方法に関する定めはない。また、ヘーグ陸戦条約には、個人の国家に対する損害賠償請求権を定めた条項はない。

(4)  ヘーグ陸戦条約三条には、「in-demnit!」(compensation…英語訳)という語が用いられているが、これをもって、直ちに、ヘーグ陸戦条約三条が、個人の国家に対する損害賠償請求権を規定しているものと解することはできない。

(5)  ヘーグ陸戦条約に附属するヘーグ陸戦規則五二条及び五三条も、現品徴発の対価の支払、押収物の還付又は賠償の相手方について明示していない。

(6)  赤十字国際委員会が刊行した昭和二四年(一九四九年)のジュネーブ諸条約についての解説書には、一九四九年ジュネーブ第三条約五一条について、条約の違反行為による被害者が、右行為をした者の所属していた国家に対して、訴訟を提起することは想像しがたい旨の記述がある。

(二)  右の諸点から明らかなとおり、ヘーグ陸戦条約三条は、これをその文脈及び用語の通常の意味に従って解釈(文理解釈)すれば、ヘーグ陸戦規則に違反する行為をした者の所属する国家が右違反行為によって損害を被った個人の所属する国家に対して賠償責任を負う旨を規定したものであって、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものではないというべきである。

3 ヘーグ陸戦条約三条に基づく個人の国家に対する損害賠償請求を認容した実行例の不存在

(一)  ヘーグ陸戦条約三条に基づく個人の国家に対する損害賠償請求を認容した実行例が存在する事実の認められないことは、前述のとおりである。

(二)  また、条約又は国際慣習法に基づく個人の国家に対する損害賠償請求を認容した実行例が存在しないことも、前認定のとおりである。

(三)  したがって、実行例を考慮して解釈したとしても、ヘーグ陸戦条約三条は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものとは解されない。

4 ヘーグ陸戦条約三条の起草過程からの解釈

(一)  前認定の各事実(前記第三の一5参照)によれば、次の諸点が明らかである。

(1)  ドイツ修正案は、使用者がその被用者又は職員の行為につき責任を負うという私法の原則を導入して、一八九九年ヘーグ陸戦規則に違反するあらゆる場合において、右違反行為をした者の所属する国家に責任を負わせることによって、各国の軍隊構成員に一八九九年ヘーグ陸戦規則を遵守させることを目的とするものであった。

(2)  ヘーグ陸戦条約三条の起草過程においては、個人に生じた損害の救済について、その具体化及び実現方法に関する審議はされなかった。

(3)  第二回ヘーグ国際平和会議における各国代表の発言中には、一八九九年ヘーグ陸戦規則に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定又は確認した発言はなかった。

(4)  第二回ヘーグ国際平和会議の各国代表は、ドイツ修正案における損害の賠償方法として、国家が国家に対して損害賠償請求権を行使することを念頭に置いていた。

(5)  第二回ヘーグ国際平和会議において最終的に採択されたヘーグ陸戦条約三条においては、ドイツ修正案とは異なり、ヘーグ陸戦規則に違反した交戦当事国が責任を負うべき相手方の記載が削除されている。

(二)  したがって、起草過程を考慮して解釈したとしても、ヘーグ陸戦条約三条は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものとは解されない。

5 小括

以上によれば、ヘーグ陸戦条約三条は、その文理解釈に加え、事後の実行例や起草過程等を考慮してこれを解釈したとしても、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものとはいえず、ヘーグ陸戦規則に違反する行為をした者の所属する国家が右違反行為によって損害を被った個人の所属する国家に対して賠償責任を負う旨を規定したものであることが明らかである。

したがって、右と異なる見解を前提として、ヘーグ陸戦条約三条に基づき損害の賠償を求める原告らの本件各請求は、その前提に欠けるものであって、その余の点について判断するまでもなく、失当というべきである。

三 国際慣習法に基づく損害賠償請求権の存否(争点2)について

1 本件国際慣習法の成否

(一)  国際慣習法とは、国際社会の構成員間で行われる特定の国家実行の積み重ね(国家間の国際慣行)を基礎として形成された国際法規範であるところ、これが成立するためには、特定の事項について、大多数の国家間において右のような国際慣行が確立していること(一般慣行)、及び、大多数の国家が右の国際慣行を法的な義務として確信していること(法的確信)が必要であるものと解される。

(二)  一般慣行

(1)  前記説示のとおり、ヘーグ陸戦条約三条は、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものとは解されない。

(2)①  ヘーグ陸戦条約三条に基づく個人の国家に対する損害賠償請求を認容した実行例が存在する事実の認められないことは、前述のとおりである。

②  また、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人に対し、右違反行為をした者の所属する国家が損害賠償をした例は、本件全証拠によっても、認められない(ただし、混合仲裁裁判所が設置された場合等を除く。)。

(3)  そうすると、第二次世界大戦中に日本軍から本件各加害行為を受けたと原告らが主張する昭和一七年(一九四二年)ないし同二〇年(一九四五年)ころまでに、大多数の国家間において、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定し、これを実行する国際慣行が確立していたものということはできない(一般慣行の不存在)。

(三)  法的確信

(1)  赤十字国際委員会が刊行した昭和二四年(一九四九年)のジュネーブ諸条約についての解説書中の一九四九年ジュネーブ第三条約五一条についての記述(前記第三の一6(一)参照)によれば、赤十字国際委員会は、ヘーグ陸戦条約三条についても、国家間の責任を定めた規定であるとの見解を持っていたことが推認される。

(2)  また、前認定のとおり、平成四年(一九九二年)六月一六日の米国第四巡回区連邦控訴裁判所判決及び同六年(一九九四年)七月一日の米国コロンビア特別巡回区連邦控訴裁判所判決は、いずれも、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を否定し、これを実行することを拒否している。

(3)  そうすると、前記の時点までに、大多数の国家が、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定し、これを実行する国際慣行を法的な義務として確信していたものということはできない(法的確信の不存在)。

(四)  右の諸点に照らせば、前記の時点までに、本件国際慣習法が成立していたものということはできない。

2 小括

以上によれば、第二次世界大戦中に日本軍から本件各加害行為を受けたと原告らが主張する昭和一七年(一九四二年)ないし同二〇年(一九四五年)ころまでに、ヘーグ陸戦規則又はジュネーブ捕虜条約に違反する行為によって損害を被った個人の右違反行為をした者の所属する国家に対する損害賠償請求権の存在を肯定する本件国際慣習法が成立していたとはいえない。

したがって、右と異なる見解を前提として、本件国際慣習法に基づき損害の賠償を求める原告らの本件各請求は、その前提に欠けるものであって、その余の点について判断するまでもなく、失当というべきである。

四  結論

よって、原告らの本件各請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六五条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官井上繁規 裁判官小池一利 裁判官德増誠一)

別紙1 ヘーグ陸戦条約三条の正文(フランス語)〈省略〉

別紙2 ヘーグ陸戦条約三条の英語訳文〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例